やっと主人が帰ってきた
昨日の続き
主人は病院で息を引き取り、
さらに事件性の確認のため、
解剖をすることになった。
この、解剖については、
家族に同意を得ることが前提のようだ。
断ることはほぼできないものらしいけど。
主人の解剖はすぐには出来ず、
5日後のお昼からされることになった。
5日間は、何してたのかはっきり覚えていない。
義父が来てくれたり、妹夫婦が翌日来てくれたり、母親が居てくれたり。毎日泣きじゃくる私を見守ってくれていた。
みんな、悲しい。みんな辛い。みんな悔しい。
とにかく、通夜・葬儀の準備、金融機関の手続きなど、義父や母がアドバイスしてくれた事をただ一つ一つやるしかなかった。
主人が解剖に向かう日の早朝は、私は長野県警にいた。
安置所に通され、これから大仕事が待っている主人の冷たくなった顔を撫でた。
検視官の方が、
「おそらく救助の段階で、すでに体温はマイナスだったと思われます。」と。
後で調べたら、人間は寒冷地で体温34℃下回ると意識混濁が始まり、32℃で立てなくなって意識消失、31℃で昏睡状態、28℃で心肺停止
解剖が終わって、
長野から車で7時間ほどかけて、
主人は生まれ育った地元に帰ってきた。
私と義父は、葬儀場に帰ってくる主人を待った。夜22:00過ぎ
帰ってきた主人の顔はかなり痩せこけた顔で、
この大仕事がとてもしんどかったんだって、
「頑張ったね」って声をかけるしか出来なかった。
でもね、主人の顔を見て少しホッとした。
山で命を落とす方の中には、そのまま見つからないこともある。
春になって雪が溶け始めてから見つかることも多い。
主人は、最後の力を振り絞って、
「僕はここだよ」ってメッセージを出してたのかもしれない。
スヤスヤ寝てるような主人
その後エンバーミングして、少しだけふっくらした顔の主人を眺めていられるのは、
あと何日?
毎日会いに行った。
最後の、本当に最後の最後の日まで。
大好きなタカくん。
いつでもいいから、もう一度、私のいる家に帰ってきてね。待ってるよ。