~大好きな主人は旅人~

天国にいる主人と話したいこと書いています

S夫妻と主人

 

とうとうこの日が来た。

主人と山に同行した友人ご夫婦、S夫妻が主人のお墓に来てくれた。

 

S夫妻は、私と主人が出会うずっと前から、15年くらいのお付き合いがあるとのことで、主人の20才半ばから今までの人生を見てきた2人だった。

 

当然、私の知らない事も知っているし、主人の山あり谷ありな人生の節目には彼らが傍にいた。

 

今回の山行と事故、主人がどのように息を引き取っていったか話してくれた。

 

冬山から滑落した夜、翌朝のお昼頃までは意識もあり声を掛け合っていた。

徐々に主人の体力が落ちていく様をS氏は気づいていたが、とにかく避難できる雪洞を作って、意識が薄れて始めた主人と一晩過ごすため、懸命に雪を掘っていた。

動きも緩慢になっていた主人に注意しながらの作業は大変だっただろう。

 

しかし、主人はそんなS氏の努力すら認識することも出来ず、自分の呼吸が浅くなって、とうとう雪斜面にうつ伏せで倒れた。

 

その時、S氏は人工呼吸、心臓マッサージをしてくれたが、主人の自発呼吸は無かったと言う。

 

降り積もる雪と突風で、周りも見えず、雪洞の入り口はすぐ雪が吹き込む。

S氏も必死で、このまま雪に閉じ込められると、恐怖感が襲ってきたらしいが、「死ぬ」という事は考えなかった。

 

翌朝、運良く天気が晴れたので、S 氏は主人のリュックと水を持ち、1人で下山を開始した。その6時間後、レスキューで救助された。

 

主人とS氏の違いは?

なぜS氏は生きてて、主人は亡くなった?

 

主人はとても痩せ型で、良く食べるが太らない。むしろ、少し体調を崩すと痩せてしまう。

 

S氏は決して太っていないが、主人と比較すればガッチリしていた。

その差が出たか。

 

もう一つ、主人の死に対する姿勢。

死への恐怖感が余り無い人だった。

もちろん、「死にたい」と思っているわけでは無いが、万が一その時が来ても、受け入れてしまいそうな、そんな人だった。

 

日々の言動の端々に「何が何でも生きてやる」という気迫や意地めいたものが、何となく感じられない人だった。

 

S氏は、私が感じているところも、わかる気がすると。

 

でも、やっぱり、そりゃ無いよ。

私と一緒になったのは何故?

共に生きることにしたんでしょう?

生きるんでしょう?

 

S夫妻は私を「器がでかい」と言った。

絶対幸せだったと。過去の主人を知ってるからこそ、主人と結婚した人だから本当に優しい人なんだと。

 

優しい?そうか?

 

貴方の人生は何だった?

私は貴方の何だった?

 

またこんな思いが頭を巡っている。

f:id:NOBUNORI:20200620185014j:image

夕空@貴方の職場近くで

月命日

 

今日は19日の月命日です。

雨がしとしと降ってます。

1日雨模様かな。

 

母親から

連絡が来た。なんてことはない。

「お肉送ろうか?」牛肉らしい。

 

正直、

牛肉を食べるほど元気がない。

 

主人は「今日は牛さんだね」と喜んで頬張ってました。

(表現に余りいい印象を持たない方、すみません)

 

日頃は豚肉、鶏肉が多くて、牛肉はなかなか手が出ませんでした。

主人はお鍋料理🍲が好きで、

たまに牛肉が送られてきたりすると、

「牛さんで……しゃぶしゃぶだね

   ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」と。

 

この世にこんな美味しいものがあったんか?と言わんばかりに、2人で感動していました。

たまのご褒美。

その時の主人の笑顔はすぐにでも思いだせる。

 

おいしかったよね

 

なので、

私は余り欲してはいないが、

主人も喜ぶので、遠慮なくありがたく送ってもらうことにしました。

 

お肉類は、本当はお供えには相応しくないそうですが、主人も好きなので、お許しください。

 

何を作ろうか

お鍋🍲かな?

1人じゃ食べきれんよ

f:id:NOBUNORI:20200619151133j:image

@今日はお花を。主人も喜んでくれるかな

花が咲いたよ

f:id:NOBUNORI:20200618183337j:image

 

すごく嬉しい。

いったん全部枯れて終わったかなぁと思ってた白い花

 

主人が楽しみに植えた白い花

主人は見ることはできなかったけど

 

 

一人じゃないよって

帰ってきてくれた

 

大丈夫、私はきっと大丈夫

 

貴方がいる

 

寂しくない、寂しくない

 

ありがとう

 

 

やっと主人が帰ってきた

 

昨日の続き

 

主人は病院で息を引き取り、

さらに事件性の確認のため、

解剖をすることになった。

 

この、解剖については、

家族に同意を得ることが前提のようだ。

断ることはほぼできないものらしいけど。

 

主人の解剖はすぐには出来ず、

5日後のお昼からされることになった。

 

5日間は、何してたのかはっきり覚えていない。

義父が来てくれたり、妹夫婦が翌日来てくれたり、母親が居てくれたり。毎日泣きじゃくる私を見守ってくれていた。

みんな、悲しい。みんな辛い。みんな悔しい。

 

とにかく、通夜・葬儀の準備、金融機関の手続きなど、義父や母がアドバイスしてくれた事をただ一つ一つやるしかなかった。

 

主人が解剖に向かう日の早朝は、私は長野県警にいた。

安置所に通され、これから大仕事が待っている主人の冷たくなった顔を撫でた。

検視官の方が、

「おそらく救助の段階で、すでに体温はマイナスだったと思われます。」と。

 

後で調べたら、人間は寒冷地で体温34℃下回ると意識混濁が始まり、32℃で立てなくなって意識消失、31℃で昏睡状態、28℃で心肺停止

 

解剖が終わって、

長野から車で7時間ほどかけて、

主人は生まれ育った地元に帰ってきた。

 

私と義父は、葬儀場に帰ってくる主人を待った。夜22:00過ぎ

 

帰ってきた主人の顔はかなり痩せこけた顔で、

この大仕事がとてもしんどかったんだって、

「頑張ったね」って声をかけるしか出来なかった。

 

でもね、主人の顔を見て少しホッとした。

山で命を落とす方の中には、そのまま見つからないこともある。

春になって雪が溶け始めてから見つかることも多い。

 

主人は、最後の力を振り絞って、

「僕はここだよ」ってメッセージを出してたのかもしれない。

 

スヤスヤ寝てるような主人

その後エンバーミングして、少しだけふっくらした顔の主人を眺めていられるのは、

あと何日?

 

毎日会いに行った。

最後の、本当に最後の最後の日まで。

 

大好きなタカくん。

 

いつでもいいから、もう一度、私のいる家に帰ってきてね。待ってるよ。

f:id:NOBUNORI:20200617160858j:image

 

落ち着かない

 

 


いい天気だ。


洗濯物もばっちり乾く。

昼間の部屋はとても明るい。

 


私はどうだ?

 


今週の金曜日は主人の月命日

その翌日の土曜日は、とうとう「あの日」が来る。

落ち着かない。事故当時のことを繰り返し思い出してしまう。

 


主人が一緒に山に行った同行人は、

救助により助かった。

この土曜日はその「友人」が主人のお墓に手を合わせ、

私に話したいことがたくさんあると、我が家まで来ることになっている。

 


怖い。どんな山行だったのか詳細に一つ一つ聞きたい。

主人がどんな様子だったか1ミクロンも逃さず聞きたい。

他にも聞きたいことがたくさんある。でも、聞くのが怖い。

 


意識が朦朧としていたという主人の命が尽きるとき、

彼は傍にいたのだ。

 


両足の指の5本を凍傷で切断しているという。

 


主人のお通夜・葬儀は、彼も入院中だったため来ることはできなかった。

代わりに、奥さんとご両親が来て下さった。

 


頭ではわかっている。

彼は何も悪くない。

むしろ、主人が危ない状況にあっても、一生懸命支えてくれたはずだ。

それでも、どうしようもなく、自分の命ももちろん大切だし、

意識がなくなった主人を置いて一人で山を降りる決心をしたのだと思う。

 


でも、

「なんで、主人を連れて帰ってくれなかったの?」と思う気持ちが消えない。

ひっぱたいても、殴ってもいい。主人を生かしてほしかった。

 


救助活動の3日間、私は長野にいた。

主人が警察に救護要請した3/17の朝に長野県警から電話があったが、

事の重大さがよく分かっていなかった。その日のお昼には長野に向けて出発した。

 


1日目は悪天候で救助ヘリコプターが飛べなっかった。地上のレスキューも雪崩の危険性があり、捜索活動が難航した。

 

 

2日目の14:00頃


「救助しました」の一報が入った。


「良かった」と思えたのも一瞬で、助かったのは同行人だけだった。

 

 

主人だけ、一人残されて、どこに行ったの?


友達とはぐれてしまったの?


どうしたの?なんで救助されてないの?


なんで主人はいないの?

 

 

恐怖と不安が押し寄せる。


警察からの連絡を今か今かと待つ。朗報でありますように。助かっていますように。

夜になっても警察から連絡なし。

 

 

3日目、警察は、同行人から得た情報により場所をほぼ特定する。


悪天候続きだったが、3時間だけ救助ヘリが飛べる時間帯があり、早朝から捜索開始していた。

 

 

朝7:00過ぎ、主人が見つかった。


ヘリで運ばれ、救急車で近隣の総合病院まで運ばれる。


助かって、助かって。生きてて。絶対生きてて!

 

 

「あれ?レスキューヘリで大学病院じゃないの?」


同行人が救助された時はヘリで大学病院に搬送され、即入院となった。

 

 

主人は?ヘリじゃない?救急車??

 

 

待機していた民宿から主人の搬送先病院まで走る。とにかく走った。

 

 

救急に通される。早く、早く。


奥の部屋に、主人が横たわっている。


駆け寄った。主人に駆け寄った。

 

 

冷たい顔

凍傷した頬と鼻

食いしばった跡がある唇

 

 

主人は、初春の北アルプス唐松岳で命に終止符を打った。


結婚して9か月が過ぎたころだった。

またやってしまった

 

今日は出勤

 

本当に人が増えたなぁ。

会社に行くのは苦にならないけど、

通勤がイヤだなぁ。

 

今日もやってしまった。

油断した。

主人を想って泣いてしまった。

 

私の直接的な仕事仲間は、主人との馴れ初めや、どんな人なのか、結婚したとか、日々の暮らしはどうだとかよく話していた。

 

そのうちの1人は主人にも会っているので、

どんな人か知っているし、

山が好きだということも、

作って5日も経ってる鍋が好きなのも、

インドのマザーハウス(死を待つ人の家)を訪れてボランティアしてたことも、知っている。

彼女はお通夜に来てくれた。

「なんでだよーっ」って、涙を流し私の肩を叩いた。

 

この土日のこと

私も仕事仲間には

「6/13は、結婚記念日だったので」と話していたら、2人とも普通に反応した。

 

2人:「あっ、そうかぁ、そうだったね」

私:「まぁ、いないですけど」

 

私はその2人の反応に苛立ったわけでもなく、

むしろ普通に主人が生きているように、

「良かったね」と、感じ取れるそのやりとりが、逆に私を慰めてくれたというか。

 

主人が来たような、

主人のことを強く想ってしまって、

どうしても涙を止められなかった。

 

しばらくトイレに行って、

泣くだけ泣いて、

デスクに帰ったけど、

2人は普通に何も言わず、

仕事をしていた。

 

2人が、今の私の状態をどれだけ想像してるか知らないけど、何も言わずに、泣いてもいいと言ってくれてる気がする。

 

でも、できれば、

あんまり会社では泣きたくないな。

 

@帰りに「死んだらどうなるの?」(桜井識子さん著)を買った。

最近この手のしか読みたいと思わないんだな

 

主人は雨が好き

 

昨日の結婚記念日から

今日も雨が降っている

 

昨日の一泊は

快く来てくれた友人と一緒で

主人と私の結婚記念日を祝ってくれた

 

主人のお通夜は雪が降り、

桜が咲く春なのに、

指先がかじかむような冷たいミゾレも降っていた

 

彼女は

「きっと、旦那さんいるよ。旦那さんが『結婚記念日を祝おう』って来てるよ」

と、言ってくれた。

それは、私のことを気遣うというより、

彼女自身が確信しているような、そんな雰囲気だった。

 

彼女も弟さんを(30歳すぎくらいと)病気で亡くしており、

愛する家族を失う、若くして失うことを経験している。

 

「残された者は自分の人生が長いんだよね」

「でも、それだけ、残された家族にずっと思ってもらえるってことだから、

きっと、弟は幸せなんだと思う。そう思うようにしてるよ」

 

状況は違うけど、

彼女もとても悲しくて、とても悩んで、今でも弟のことを想っている

そして、お母様がご病気でとても心配している今、

彼女は「自分自身は何のために生きているのだろう」と日々考えているらしい。

 

愛する人を見送ること

そして、これからの自分

 

でもね、

「今は泣いていいよ」って一言声をかけてくれて、

これから1時間半くらいかかる電車で帰っていった。

 

ありがとう。

主人はどうやらピーカンの晴れより、

緑が映える雨が好きなようです。

 

@自分の考えがまとまらないし、今日はこの辺で